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2018年7月12日 (木)

共助

西日本豪雨の記事で「共助」という言葉があった。
水道が止まっている地域で自宅の井戸を周辺の人に開放しているという記事に出てきた言葉で、とても良い言葉と思う。

ただ、気になるのがそれに対するコメント。

都市部では「共助」は薄いだろうというもの。つまりは地域コミュニティの希薄さにその原因を求めているわけだが、はたして本当にそうだろうか?

以前、電車内で急病人が出たとき、誰が音頭とるわけでもなく、その場にいた全員が協力してその急病人の救助にあたった。当然その場にいた人は皆、偶々乗り合わせた人たちで赤の他人だから、日頃からの繋がりなんか皆無。それでも一致協力して行動。

地域コミュニティで日頃からコミュニケーション取り合っていた方が災害等の場合、有益なことはたしかに多いが、それが決定要因ではない、と思う。上記の例がその一つの証左。

むしろ、今回のような災害にかこつけて地域コミュニティを偏重するのは感心しない。

と、言うのは地域コミュニティは良い事ばかりではないから。

昔の日本は地域コミュニティの偏重があり、というか偏重せざるを得ない社会で、そこには「理」より「情」や「習わし」が優先される土壌があり、その中には人権侵害となるものも含まれていた。「女は子供を産む道具」「会議費という項目で宴会代に公金を使う」「町内会は強制加入」等など・・・・。さらには他人のプライバシーに首突っ込むなんて日常茶飯事で、その果てに「忖度」や「いじめ」のような陰湿なものが発生してくる。

では、「共助」のようなものに上記のような負の財産が付いてくるのはやむを得ないのか?ということになるけど、必要なのはモラル。

結論。「共助」の生まれる土壌は地域コミュニティではなく、社会のモラル。日本の社会はまだ十分可能性があると思う。

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